初稿 2017/08/07
「名曲名盤」という割にはマニアックな曲目に偏っているとの見方もあるこのサイト。ここらあたりで間違いのない名曲、モーツァルトの交響曲第40番にスポット・ライトを当ててみたいと思います(先回登場時は39番との比較でした)。それにしてもタイトルが長い!
ほぼイントロなしの冒頭のメロディーを聴けば誰もが「あぁ~」と知っている名曲中の名曲。「もの悲しいロマンティックな曲ね」、という感想が多いと思われます。では全四楽章よく知っているかというと意外にもというか「えっと、どんなメロディーだったっけ?」となってしまうことも。学生時代に友人が、ものの一分も聴かないうちに「もういいや」「えっ、なんで?」「いや、もう最初のテーマ終わったから」。おいおい・・・。
演奏にもよるのですが、じっくりと聴くと深~い味わいとともに謎めいた印象をもおぼえるこの曲。少し語らせてください。
交響曲第40番ト短調ということで基本は短調なのですが、当然のことながら明るいメロディーも含んでいるわけで、悲しみと喜びの表現、やや悲しみの強い「悲・喜」ともとれるのですが、私はこの曲はやり切れない「悲哀」の交響曲ではないかと思っているのです。
この印象はクラウディオ・アバド指揮、ロンドン響の演奏に由来するところが大きく、演奏によって当然解釈はまちまちでしょう。しかしこの組み合わせ、私たちを悲哀の迷宮へと誘い、深い感動へと導いてくれるのです。
第一楽章:美しいメロディーの多いモーツァルトの中でも有名中の有名なテーマで始まります。打ちのめされてはいないものの悲しみを湛えたメロディーです。途中長調に転調するのですがすぐまた強い短調に引き戻され、楽章全体に暗い印象があります。わずかに差し込む陽の光が却って暗さを強調します。この引き戻しの力が強いため明るい気分にはなってきません。アバドは長調の部分よりも短調の箇所を力強く(必ずしも大きくではなく)、やや引っ張り気味に演奏することでこの効果を醸し出しているのではないでしょうか。とは言え、この楽章は特に大きな謎があるという雰囲気ではなく、奏者による違いはテンポの速さや軽やかさ、逆に鈍重さなどにみられ、好き嫌いはあれ誰の演奏を聴いても素直に感動できると思います。
第2楽章:問題はこの楽章とフィナーレにあります。まず第2楽章ですが基調は長調です。であるにもかかわらず、冒頭から心のメーターの針が喜びに振れるのか悲しみの側に振れるのか、ためらい迷っているかのようです。喜びにグッと振れることはなく、何かに引き留められている、あるいは喜びはしゃぐことのできない理由を抱え込んでいるかのようです。そして中間部でググッと針は悲しみに大きく振れます。そのあとまた曲調は再び明るさを帯びてくるのですが、一体何の闇に心を奪われているのだろうかと感じざるを得ない暗い迷宮を彷徨っているかのようです。モーツァルトになにが?あるいはこれはアバドがスコアを突き詰めていった上での解釈なのでしょうか?
第3楽章:ここは非常に簡明です。暗-明-暗。短調-長調-短調。この時期のモーツァルトとしてはやや古典的な、いわば大バッハ的な音楽といっていいでしょう。簡明というのは主張や表情がないというのとは違います。スコアをあるがままに演奏してほしい、そういう作曲者の演奏に対する指示を感じます。つまり言い換えれば、この交響曲の中での休息の部分が唯一この楽章なのです。いえ、そう思えるのです。
第四楽章:いよいよフィナーレです。自分の言葉で書くべきなのでしょうが、かの評論家、小林秀雄が「悲しみは疾駆する」と述べた(いや、もしかすると彼も誰かの言葉を引用したのだったかも)、暗い急速なパッセージが奏されます。長調の和声も使われているにもかかわらず、悲しみから逃れることのできない、まさに「悲哀」の旋律。そして突然の変てこな転調フレーズ。でもそれは以前紹介した彼の作品「音楽の冗談」とは全く関係のない、真摯で誰も思いつかない、しかしまさにここはこれ以外であってはならない説得力のあるフレーズ。そのあとはどんな長調の和声が入ってきても苦渋に満ちたモーツァルト像しか浮かび上がってこないかのように終いまで「悲哀」が突っ走ります。
いかがでしょうか?この演奏を是非聞いてみたいと思われますか?だとしたら嬉しいです。
話はまだまだ続きます。カラヤン、ベルリンフィルの演奏は全く違います。あっけないほどあっという間に終わります。全く異なっていますが、こちらも素晴らしい演奏です。これを聴くと今度はこれこそモーツァルトの実像、と思ってしまうから不思議です。感動です。質は異なりますが深い感動です。どう考えてもモーツァルト自身、自分の作曲する交響曲はあと二曲だけ、と思っていたと考えるのには無理がありますよね(32歳ですよ。方やショスタコーヴィチの15番は「最後」のつもりでしたでしょうね)。楽壇では帝王の異名をとったカラヤンも、「音楽」の前では謙虚な一人の学徒たらんとしていたのでしょう。深く深くスコアを研究し、楽員を鍛錬していった結果に違いありません。あっという間に終わるということは、聴き手がそれだけ引き込まれていることを意味するのだと思います。こんな演奏ができるのはやはりカラヤンだから、なんでしょうね。才能と努力を感じます。ある時ストラヴィンスキーの「ハルサイ」の棒の振り方の助言を岩城宏之に求めたことがあったとか(現代曲が得意だから)。命を削って紡ぎ出した演奏を、部屋で寝転びながら聴いているなんて。感謝!というべきか不埒というべきか。
モーツァルト:交響曲第40番 第41番≪ジュピター≫ クラウディオ・アバド 、 ロンドン交響楽団 ¥1,234
在庫少ないようですが、なくなればまたプレスされる。そういう盤です。今回はこの演奏に基づいての紹介でした。
限定盤だそうですが、こちらもプレスされ続けるでしょう(こちらは現在実店舗のみのようです)。あとは全集か。こちらも少し解説させていただきましたとおりです。
また限定盤。BOX狙いなんでしょうかしら。一曲多くて安い。
AmazonはTowerと同じラインナップで揃えました。Prime価格です。カラヤンはウィーン・フィルとの盤もあります。テイストは近いようで皆一様に高い評価です。一応ご紹介。
こちらはどうぞ評者の皆さんのご意見をご覧ください。