「ジュピター」の愛称で知られているモーツァルト最後の交響曲です。この愛称はかなり早い時期からあったようですがモーツァルト自身によるものではなく、内容とは直接の関係はありません。
なぜ「再」入門なのか?入門ということでドボルザーク「新世界より」を取り上げましたが、それは何か単純だからとか、簡素だからとか、そういったことではなく、交響曲というものの概要を知るのに適しているのはどの曲だろうかと考えて選びました。
モーツァルトの第41番は聴きやすく、耳なじみが良く、簡素に書かれているようですが、実際には高度な作曲技法が駆使されているのだ・・・そうです。それでいて、すっと入ってくる。少し長めに感じるかもしれませんが、交響曲の一つの極北といっても過言ではないでしょう。改めて新たな耳で再入門、というわけです。
ナクソスより。終楽章。
いきなり終楽章から流すのもなんなんですが・・・。
第1楽章冒頭は力強さと繊細さの入り混じった音楽です。全体としては力強さが勝っているかも。とても単純な出だしです。装飾音の付いた三つの音が堂々と鳴らされると、続いて繊細な短いメロディーが流れます。すぐにティンパニの刻むリズムによって進行する曲にはメロディーらしいメロディーが無いことに気づきます。音階や和音の展開など、歌おうと思えば可能ですがいわゆる「歌」はそこにはありません。この点クラシックは誤解を受けていると思いますが、「新世界より」のように歌えるメロディーが常にあるわけではないのです。ここでは最初の繊細なメロディーがどのように変形させられていくのか追いかけてみると面白いと思います。曲のかなりの部分がこれによって構成されています。最初の三つの強打の音型もそこかしこに見られます。第二主題には「歌」があります。そして巧みに第一主題と絡んでいきます。そして繰り返し。この繰り返しがだらだらしていてお好きでない向きもあるようですが、「発見」のチャンスです。そして冒頭の装飾音符なども素材として使われていることに気づきます。繰り返しをしていない演奏もあるようですね。
第2楽章はアンダンテ・カンタービレ。「歌って」を意味するようにこの楽章には「歌」が続きます。やや長めなのですが長調と短調の両方の歌があります。短調に入ってからのメロディーというかコードがとても切なく胸にしみます。それに続く長調のメロディーは夢見心地の境地におかれます。大雑把に言えばこの繰り返しで曲は構成されています。あまり小音量ですと生活音に埋もれてしまいますのでそこそこの音量で聴くようにお勧めします。
第3楽章は軽快なメヌエット。舞曲のわりに堂々としている部分が多いです。ゆったりした楽章が続くと退屈するものですが、さすがモーツァルト。キリッと引き締めます。これは穏やかに始まる終楽章への布石となっているのでしょうか。
第4楽章。本交響曲中の白眉と言えるでしょう。「ドー・レー・ファー・ミー」という単純な音型が始まりを告げます。これを「ジュピター音型」と呼ぶのだそうです。この音型でフーガが形成されるところなど見事というほかありません。もちろん素材はそれだけではなくて下降する音階、上昇する音階、ベートーベンの「運命」の冒頭のようなリズム、転調、様々に組み合させて非常に複雑なことをやっているのだ・・・そうです。曲中で「ジュピター音型」がどのように用いられ変形されているかに注意を払って聴くこともできます。音型探しですね。他の素材を探してどのように組み合されていくか、など興味は尽きません。このような聴き方をしていると楽しいですし、あっという間に時間が過ぎていきます。とりわけ終盤で例の音型が出てくるところなどゾクゾクしますね。
長年愛奏されてきた曲ですから名盤はたくさんあるのですが、入手可能なものを探してみましょう。
まずは廉価版2枚。軽快でさわやかな演奏です。
こちらも入門用に廉価版を。定評のあるものから。
こちらはLPレコードですから注意してください。最近はハイレゾ音源ばやりですけれども、結局は旧いLPが家庭で聴くのに最適であったと。CDになったとたんに音が薄っぺらくなったと感じる人は少なくないようです。それにしても高いですね。需要がまだ少ないか?
こちらは高いですがSACDなので通常のCDプレーヤーでは聴けないことに注意してください。三枚組ですからバカ高いというほどではないと思います。こちらもハイレゾを求める方のために。
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