注)Youtubeの動画を埋め込んでいますが、再度同じ動画を見るためにはページ全体を読み直してください。
やはりこの曲が好きなんでしょうねぇ。6番は聞くタイミングが難しいし、4番はロシア風でいいですが、チャイコフスキーのアカデミックな作風を楽しむならやはり第5番ではないでしょうか?
初回には解説が少なかったです。反省。
第一楽章は重さや暗さがあります。人生で遭遇する悩みや悲嘆を想起させます。ですが、ただただ暗いのではなく楽観的な面もあります。負けじ魂というのでしょうか、「そっちがその気なら俺はこのまま突き進んでやる」とでも言いたげで、第6番のチャイコフスキーとは大きく違う何かがあるようです。
第2楽章と第3楽章はどちらも夢見るような音楽です。逃避?そうとも取れますし、人生苦悩ばかりではない、安らぎの時や楽しいことも沢山あるではないかと語りかけられているようでもあります。これほどの美しい「歌」や「舞曲」を書いた人が、いったいなぜ早すぎる死に埋没しようとしたのか不可思議なことではあります。
終楽章から感じられる作曲家のイメージは、おおらか、度量の深い(同じ?)、誠実、勇敢、堅固、愛情と様々です。この楽章には「こうでなければならない(こう演奏しなければならない)」という押しつけがましさがなく、実際、指揮者によって細かな表現は様々です。それでも、チャイコフスキーが鳴っている、響いている、とどの部分を取り出してもはっきりわかるのはさすがと思います。
もちろんそれは、大作曲家の条件であると言えます。聴いた瞬間、誰の曲かわかる。これほど作曲家の個性、力量が明確になることはないでしょう。
チャイコフスキーはリズムを扱うことに長けていました。一般的にもよくあるパターンですが、休符から始まるメロディーがあります。聴衆はメロディーの先頭に休符があっても当然のことながらそれをリズムの一部と把握することができません。彼はこの手を使って私たちを撹乱し、なかなか曲の様相を掴ませないようにすることが上手です。この感覚は私たちに何度も繰り返し聴取を促す効果を持っているように思われます。
一つの手法に過ぎませんが、リズムのビートが裏に回る、とでも表現すればよいでしょうか?
例えば、こんな場面があります。
かなりテンポの遅いチェリビダッケの演奏です(なぜか写真はアバド)。
さてこのリズム、皆さんにはどのように聞こえたでしょうか?
このように聞こえることが多いように思います。
しかし、実際はこうなのです。
たいへんわかりやすいのが下のバーンスタインの演奏です。意図的に聴衆が正確なリズムを聞き取るように演奏しているようです。
逆パターンもあります。
ムラヴィンスキーの演奏です(なぜか写真はアバド)。彼は色々な試行錯誤をしています。通常はティンパニのクレッシェンドが終わって一撃入ったところから旋律が始まりますが、ここで聞かれる演奏ではティンパニのクレッシェンドの途中から旋律が始まってしまいます。これは別に楽譜を無視しているわけではなく、クレッシェンドがさらに続いているように読み取ることも可能であるために試みたもののようで、常にこの方法で演奏しているわけではありません。これはこれで大好きなCDなのですが。
でもこれでは、先頭の休符を聞き取ることはほぼ不可能ですね。チャイコフスキーが用いている技法であることを考えると、テンポはともかくチェリビダッケの演奏が作曲者の意図に近いように感じますが、あなたはいかがでしょうか?
カラヤンの演奏も同様だと思います。
いつの間にか拍が裏に入っています。
パット・メセニー・グループの曲に「James」というのがありまして、これが似た感覚なんですね。
指でトントンとリズムを取るとわかると思います。途中で「あれっ」という感じでずれます。そして音符が余ります。
いずれにせよ、様々な演奏をしてもらえる曲は幸せですね。
【SHM-CD】 チャイコフスキー:交響曲第5番 エフゲニー・ムラヴィンスキー ¥1,836
遂に発売になりましたね。SACDの方はそろそろなくなってきているようですが…。また出るかもしれません。
わかりやすい(把握しやすい?)バーンスタインはいかがでしょうか?
カラヤンの風格ある終楽章も大好きです。
こちらがCDの新盤ですね。
なぜにこんなに安いのでしょうか?
カップリングの素敵なバーンスタインです。
Leave a Reply