ついに行ってまいりました。ロジェストヴェンスキーを生で聴けるとは思ってもいませんでした。というか実は故人ではないかとなぜだか思い込んでいました。若い時から聴いていて、その時点でかなり年齢も行っていたと思うので。85歳、確かに歩みはゆっくりで、背筋は伸ばしていましたが、たぶんステージ上で意識的に伸ばしているような感じでした。
曲目は
- バレエ組曲<黄金時代> 作品22a
- ピアノ協奏曲 第1番 ハ短調 作品35 (ピアノ:ヴィクトリア・ポストニコワ)
- 交響曲第10番 ホ短調 作品93
期待に応える素晴らしい演奏でした。ピアノ協奏曲以外は、全体的に2割増しくらいのやや遅めのテンポでした。これは高齢で疲れるからというはずはないですね。
<黄金時代>は組曲としては初めて聴きました。楽しい音楽ですね。ポルカが有名でたびたび演奏されますが、テンポはやはりややゆっくりでした。思った以上に編成は大きいのですね。次のピアノ協奏曲に移るときにかなりコンパクトになりましたから。
ピアノ協奏曲の方は正式には「ピアノとトランペットと弦楽オーケストラのための協奏曲」なので、トランペット一人を除いて管楽器、打楽器のメンバーが居なくなり、とりわけフルオーケストラとの差が目立ったのかもしれません。
ピアノのポストニコワですが正直のところ初めて名前を知りました。「押しも押されぬロシアの大ベテラン」とプログラムにありました。「衰えを知らぬ」ともあり、1965年のショパン国際コンクールなどで入賞とあるので年齢も指揮者と釣り合っているのかでしょう。と思ったらロジェストヴェンスキーの奥さんでした。なんと1969年に結婚していたのですね。すばらしいです。
とにかくみずみずしいという形容が最もふさわしい演奏でした。ピアノからあんなにさらさらとした透明な液体が流れ出てきたのを初めて聞きました。難所におけるテクニックはもちろん素晴らしく、いささかのほころびもありません。そして、ペダルの使い方なのか、レガートの上手さなのかもしれませんが一つ一つの音が濁ることなく溶け合っているのです。これは良いものを聴かせていただきました。
トランペットは読響のメンバーですがかなり頑張っていました。このパートは難しく、題名の通りピアニストとトランぺッターがそれぞれソリストとして活躍している場合もあります。わずかに惜しいところもありましたが、この楽しいコンチェルトにふさわしい輝かしい音を披露してくれました。かなりプレッシャーのかかる状況でよくやった!と言いたいです。
そして休憩をはさんでいよいよ交響曲第10番です。妻は「予習をさせてほしかった(何度か聴いておきたかった)」と言っていたのですが、ゲルギエフとPMFオケで去年にも聴いていたので、曲が始まってすぐ思い出したそうです。導入部はやや大きめの音量ではっきりとしたものでした。普通CDでここまで音量を上げておくと後で大変なことになる演奏が多いのですが。つまりものすごく小さな音で始める演奏がよく聞かれます。
かなり長く(ショスタコーヴィチの交響曲では第6番も第一楽章が長くアンバランスのように思えますが、実際に聴き終えると特にそのような印象がないのが不思議です)、それでも少しずつ少しずつ楽器とメロディーが投入されて盛り上がっていき、時間の感覚がわからなくなっていくのは素晴らしい体験です。読響もよく応えて響きの一つ一つの美しさが際立ちました。まさにショスタコーヴィチが望んだ通りだったと思います。
第2楽章はスケルツォですが、ショパンの2番、3番のように猛烈な音楽です。ムラヴィンスキーはものすごいスピードで演奏したりしますが、ロジェストヴェンスキーはやはり2割り増しほど遅い感じです。もちろん楽章が楽章だけに遅くは感じないのですが。そして細部がよく見える演奏になりました。それでいて迫力や疾走感がいささかも損なわれず、興奮いたしました。
第3楽章について、以前の説明に誤りがありました。ショスタコーヴィチの名前を音に置き換える(「音名象徴」というのだそうです)手法は、第3楽章からしつこいくらいに繰り返されています。以下の主題です。
それに加えて、もう一人の名前が織り込まれていることを知りました。
これはエリミーラ・ナディーロヴァという女性のエリミーラの音名象徴とのことです。この女性とは書簡のみの関係だったとのことですが、作曲当時には強い憧れを抱いていたようです。妻の死の直前か直後から数年間にわたり書簡が集中しているので、妻への忠節がやや疑われますが、資料がありませんので断定は避けておきましょう。
ちなみにこの女性あての手紙の中で交響曲第10番の詳細が分析されているのだそうな。いったいどういう内容だったのか興味は尽きません。
ともかく第3楽章の中では二人の音名象徴が繰り返し呼び交わすように登場します。そして最後には一人取り残されたようにショスタコーヴィチの音名象徴だけがポツリポツリと繰り返されるのです。
第四楽章ですが、後半の印象が強いので序奏の長さを忘れますが、実際には序奏というにはかなり長いです。そして後半に明るく楽しいはじけるような音楽が展開されます。ここでのショスタコーヴィチの音名象徴はすさまじいです。スターリンの死後に完成し発表されたこの曲はまさに勝利の雄叫びで終盤を迎えます。
この曲は終わりがはっきりしているので聴衆はすぐに反応するのが普通ですが、この晩は「曲の余韻に浸りたい方のため指揮者のタクトが下ろされるまで静寂を保ってください」などという余計なアナウンスをするものだから、みんな固まってしまって、団員のほうが先に動き出して拍手喝采となりました。
(確かに「僕はこの曲の終わりをっているぞ」主張のフライング・ブラボーは迷惑ですが、この曲については曲の終わりは間違えようもないのですから余計なお世話でしたね)。
聴衆も拍手、団員も拍手でした。この85歳のマエストロが構築した作品は確かに一級品でした。
時々不思議な感覚に襲われました。ステージ上に石壁の堅牢な邸宅のような建物が建っているのです。ところがそれがステージを覆ってしまうのではなく、透けて骨組みが見えるのです。今「構築した」と述べました。ロジェストヴェンスキーがパンフレットに寄せた言葉は「これがショスタコーヴィチなのです」というものでした。まさに彼はショスタコーヴィチを目の当たりに見せてくれたのです。本当に初めて第10番の交響曲を知ることができたような気がしました。土台やすべての柱、梁の一本一本まで克明に描き出し、と言っても音楽を骸骨にしてしまうのではなく完成した建造物としてもはっきりと示す。これは並大抵のことではできないことだと思います。
演奏会後のロビーの雰囲気は、興奮冷めやらぬというよりは、何か厳かな感じさえ受けました。一人一人がそれぞれの感銘を受けていたのでしょう。
自分がロジェストヴェンスキーに「ブラーヴォ」を叫ぶ機会が来ようとは夢にも思いませんでしたが、良い晩を過ごさせていただきました。彼の振った10番のCDを探してみたくなりました。
とりあえず報告は以上です。
ショスタコーヴィチの交響曲第10番の解説に少し訂正を加えました。