音楽室に必ずと言っていいほど掲げられていたバッハやベートーヴェンの肖像画。今でもそうなのでしょうか?何か意味があったのでしょうか?多少は親近感を持てるようにという配慮だったのかどうなのか。
音楽の授業で聴かされる大バッハといえば、オルガンの曲で「トッカータとフーガ」とか「小フーガ」とかちょっと陰気な曲ばかり。小難しいおじさんというイメージが定着していると思うのですが皆さんはいかがですか?
確かに「フーガの技法」とか聴いていると「いつまで続くんだろう?」とか「みんな似てる」とか(主題が同じだったりするので仕方ないですが、「音楽の捧げもの」もそうですね)、割と疲れます。でも彼にも非常に陽気な部分があって、「結構楽しんで書いてるんじゃないかな」などと思ったりするわけです。
イタリア協奏曲は三楽章からなるチェンバロ曲です。今はピアノ曲として多く演奏されます。楽章は、急-緩-急、あるいは、陽-陰-陽、となっております。出だしを聞くと、ああこの曲かというほどポピュラーではありますが、第2楽章はあまり耳なじみがないかもしれません。第3楽章は確か「のだめ」にも出てきたと思います(少なくともコミックには)。のだめの超高速演奏が披露されています(聞こえませんが)。
第一楽章はゆとりの中にもきびきびとした動きが楽しいマーチ風の曲。決して襟を正して聞く必要などはないのです。当時のPOPSと思えばよいのではないでしょうか?
第2楽章、これが謎です。楽譜も持っていますがフニャけているようで真面目な、なかなか捉えどころのない曲で、むしろ聴き入ってしまいます。私の持つイタリアのイメージともマッチしないのですが、そこらあたりを演奏者がどのように料理するかが聴きものの一つです。
第3楽章は再びPOPになって、テンポも幾分早まります。始めから終わりまで「楽しい」に尽きます。高速で演奏すると軽いローラーコースターのような感じとでもいえばよいでしょうか?
演奏者によってがらりと様子も違いますし、三楽章全体でもさほど長くはありませんので、収録曲に配慮しつつ、三人の演奏者を選びました。
スヴャトスラフ・リヒテル:いかつくて笑顔を見たことがありませんが、ロシアが生んだスーパー・ヒーロー。彼が陽気な「イタリア協奏曲」を演奏するとどうなるのか?きりっとしています。正確なテクニックと理性的な解釈により端正なバッハを聞かせてくれます。奇をてらったり遊び心はないかもしれませんが、楽しい演奏には違いありません。
グレン・グールド:思いっきり奇をてらいそうですが、意外とそうでもありません。ただし第3楽章では高速演奏を聴かせてくれます。彼には彼の理屈があるようですが、この曲に対してはどちらかというと気楽に接している、というのが印象です。
カール・リヒター:今回、唯一チェンバロでの演奏のお勧めです。楽器が違うとだいぶん様相が変わってきますが、バッハの時代に聴かれたのはこの音になるわけでしょう。再現することに意味があるのではなく、チェンバロによってどんな表現ができるかが大事だと思います。ピアノのように音の強弱がほぼなく、テンポの微妙な揺れによる表現が中心になります。第一人者の演奏をお楽しみください。
J.S.バッハ: イタリア協奏曲, イギリス組曲第6番, フランス組曲第6番 / スヴャトスラフ・リヒテル ¥1,646
リヒテルです。かの吉田秀和さんは彼の弾いた「平均律」全集を「一生持っていて、繰り返し聴くに値する演奏」とほめちぎっていました。確かにそうだと思いました。
バッハ:イタリア協奏曲 パルティータ第1番&第2番 グレン・グールド
バッハ:イタリア協奏曲/パティータ フランス組曲/イギリス組曲 グレン・グールド
こちらは両方とも出ているのですが発売日が違います。上が2007年版、下が2015年版です。収録時間は同じですから古いほうを捌けさせようという目論見か?リマスターなどの情報はありませんでした。
タワレコとそろえています。なぜだかグールドもリヒターも新旧で収録時間が1分違います。誤差?
ちなみにリヒターのCDにはヘンデルも収録されています。ヘンデルはさらに陽気で明るいといってよいと思います。音楽に対する姿勢はバッハとヘンデルでは違うような気がするのですが、真摯に取り組んでいることに違いはありません。おかげで私たちはこんなにリッチな時間を過ごすことができるのですから、うれしい限りです。
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